前回、歴史小説における過剰なヒロイックは必要ないと書きましたが、もともと私は時代劇が大好きで小学校の頃は学校から帰ると時代劇をはしごして見たりしていました。
家では漫画が禁じられていたので、図書室で日本の歴史という漫画を読んでいて、クラブは歴史部で、そこではだしのゲンも読みました。
正月に親戚が集まれば皆が居間でコメディ番組をみているなか、一人別の部屋で時代劇をみているような子供だったのをよく覚えています。
でも、いつからか図書室に歴史上の人物を美男美女化した歴史漫画が置かれるようになったとき、ちょっと違うな、と違和感を持つようになりました。
中学に上がって死ぬまでに世の中の本を全部読むことができないのがわかったとき、ならば古典文学に1度はチャレンジしようと思い吉川英治の平家物語を手にとりました。
そこからは数年かけて途中、親父殿も読書リレーに参加して平家物語、太平記、三国志、水滸伝、時々池波正太郎などをはさんで歴史小説にどっぷりつかっていました。
その後、陳舜臣の十八史略にチャレンジするのですが途中で大病をわずらって読めなくなりました。
こうやって書くと軍記物語がほとんどで。
さて、小説で読んだりして興味を持った武将などの個々の小説を…と、思って本屋で購入してみたのですが、誇張した表現が多く、途中で読むのをやめてしまいました。
たとえば、子供の頃オオカミの群れを一振の刀でひとりで倒したとか、死んで竜になって天へ上っていったとか、これはヒロイックではないのですが、貴人が流刑地で出会った島民の娘が二人で海岸を散策していたところ目の前で突然すっぱだかになって海に入ったとか。
もう、意味がわからないことだらけで、がっかりしました。
それ以来歴史小説を読むことをあきらめていたのですが、昨日、改めて歴史小説について調べていたところ「史伝小説」、「史伝作家」というジャンルにであえて、これなら読むことができるかも知れないと、夕べはわくわくしながら就寝できました。
史伝作家というのは少数派らしく、やはり大勢は歴史小説で、その読者はたくさんいて。
多勢に無勢といえば、私は属性が少数派のこともあり、エンタメ系では良さがわからないものをわからないと表明をすることで多勢派の人々の地雷をおもいっきり踏み抜くことがあります。
エンタメで少数派がわからない、と、言うのは駄目なんだろうか。
否定したわけじゃないのだが、わからないと言いたいだけなのだが。
やっぱり今まで通り心の中でそれ、わからん。と、言って黙っておけということなんだろうか。
少数派は我慢しろということなんだろうか。
普段からそんなことがたくさんで小さなフラストレーションがたまっています。
なんだかもやもやします。

来年からは史伝小説に取り組もうと思います。

それでは、また